2014年12月15日月曜日

密室のヘッドバット

 書店のバイトから帰宅した俺を自室で待ち受けていたのは、箪笥によじ登り頭を天井にがんがん打ちつける知らない男の姿だった。
「うわあああ」
思わずのけぞって玄関のドアに頭を打ちつける。シンクロ。知らない男も俺も今この瞬間は同じ痛みを共有しているのだ。そう思うと親近感が湧いてきた。くるか。
不思議と後頭部の痛みが冷静さを取り戻すことに寄与した。土間の壁に立てかけていた傘を手に取り、
「うわあああ」
投げ槍の要領で知らない男めがけて投擲した。やっぱりまだ冷静じゃないわ俺。ていうか疲れてるんだよ。はやく休ませてくれ。
傘を投げつけられて驚いた男が箪笥から転げ落ち、床の上で鈍くバウンドする。下敷きになった傘がグシャリと曲がる。変な呻き声を上げている男を見ながら、不審者へと更なる追撃を加えるか、それとも通報するか、を思案している時に、ふと妙なことに気付いた。
「鍵、閉まってたよな……?」
確かに鍵を閉めて出勤したはずだ。帰宅した今もそうだった。嫌な予感がする。
「えいっ」
「ぐふっ」
不審者の腹部に飛び乗り両足で踏みつけてから窓までダッシュする。窓もしっかり閉めたはずだ。鍵はかかっている。窓ガラスを割られた形跡もない。
……密室だ。密室殺人だ!殺人ではないな。じゃあなんだろう。密室天井ヘッドバット事件。なるほどね?そういう事件なのね。
「どういう事件だよ!」
混乱したまま怒鳴りつつヘッドバット犯へと向き直る。ゆるせん。よくも俺の休息と天井の耐久年数を害してくれたな。ついでに傘も。勢いのままに脇腹を蹴り上げる。犯人が悲鳴を上げる。
「出てけ!警察呼ぶぞ!」
「かえりらろろゆお」
……まずい。蹴りすぎたか。まともに喋れていないぞ。住居不法侵入と器物破損に対して、いったいどこまで正当防衛が適用されるのか知らないが、明らかにやりすぎた。器物破損も、そもそも傘を投げたのは俺だ。……やばい。
「あー、大丈夫ですか?」
今更遅いかもしれないが気遣っておこう。
「う、か、かえりらい」
「……帰りたい?」
「さへ、さへがのみはい」
「サヘガノミ杯……そんな大会は知らんな」
「酒が飲みたい」
「うわあああ」
いきなり明瞭に喋られてびっくりした。なんだよ酒が飲みたいって。それが人の家に侵入して天井に頭突きした男の言葉か。ふざけるな。
「酒……うう……」
「……アル中なんですか?」
不審者はぐわんぐわんと頭を揺らしている。これで首肯したつもりらしい。
何はともあれ酔っぱらいを家の中に置いておくつもりは毛頭ないので、足を引きずって運び、玄関から叩きだした。
「帰れ!禁酒しろ!」
「酒……」
ドアを閉めて鍵をして洗面所へ向かう。冷たい水で手と顔を洗う。なんなんだ。もういやだ。疲労困憊だ。そもそも帰り着いたらすぐに寝れるように仕事場の手洗いで歯みがきを済ましてきたんだぞ。水道代の節約も兼ねて。
もう何も考えずにベッドへ倒れこんだ。通報することも密室のことも忘れて。どうでもよかった。


 どうでもよくなかった。
しっかり寝過ごして時刻は正午。バイトの時間まで暫くあるのでセーフ。そのぐらいのタイミングで起き出した俺の耳に、何かを何かに打ち付ける音が聞こえてきた。
何かっていうか、頭だった。頭を、天井に、だった。
「……………」
悲鳴を上げたかったが寝起きで声が出ない。眠い。そしてそれ以上に眼前の光景が腹立たしい。意味がわからない。
そこでは、昨日やっとのことで追い出したはずのヘッドバット犯が、揺るぎない信念によって再犯に勤しんでいた。
無言で箪笥を蹴飛ばす。バランスを崩した男が落ちてくる。
「今だ!天を突け!」
落ちてくる男の背骨の真ん中に、右の拳で渾身のアッパーを食らわす。
最高の一撃。最低の目覚め。こんな朝が来ることを誰が想像できただろうか。ていうか昼だった。
くの字に折れ曲がり、空中で軽く吹っ飛んで俺の頭上から軌道を逸らしながら落ちていく。
そのまま気を失って動かなくなる男を尻目に、玄関や窓の戸締まりを確認する。やっぱり、ちゃんと閉まっている。
「……なんなんだ」
嫌な予感は的中していたようだった。的中してほしくないものだ。


 「ほら、飲めよ」
男は、幸いなことに俺の暴行とは関係なく、元から素面では喋れないほどの重度のアル中らしかった。
とりあえず話を聞き出す必要があったので、酒を飲ますことに決め、ふらつく男を引っ立てながら近所の酒販へ連れて行き、安くてそこそこおいしいだろうものを買ってきてやった。店の前でそのまま立ち飲みをさせる。恐ろしい勢いで一気飲みする男。実にもったいない。
ここまでする義理は無いのだが、不思議と、どうしてか、なぜなのか分からないが、ちょっと負い目を感じるので、少しばかり世話を焼くことにした。
「落ち着いたか?」
「おあ」
「喋れてねえじゃねえか!」
ダメだ。アルコールが足りないのか。二本目を買い足す。慌てていたのでさっきより高いやつを手にとってしまった。
「どうだ」
「うん、おいしい、こっちのほうが好きかな」
「てめえ!」
胸ぐらを掴んで揺さぶる。
「あー、ごめん」
とろんとした目で謝ってくる男。気持ち悪い。
腕時計を見る。シフトまで後少し。さっさと本題に入ることにした。
「帰りたいって言ってたよな?どこにだ?」
「へや、自分の部屋です」
「それがどうして人様の部屋の天井に頭突きする理由になるんだ?」
「あなたの部屋の真上なんでしゅよ」
喋り方クッソ腹立つ。
「お前の部屋が?それで?」
「帰れなくなっちって」
「部屋に帰れない?」
あまり聞いたことのないケースだった。
「あのさ、お前」
「あい」
「死んだのっていつ?なんで死んだの?」
「へ?」
「え?」
嘘だろ。漫画やアニメじゃないんだぞ。自分が死んだことに気付いてないヤツなんて、そんなの現実には居るわけないんだ。
「なに?なにが?」
居たよ。どうしよう。
「いや、なんでもない、それで、えーっと、最後に部屋に居た時は何してたんだ?」
「飲んでた」
「そうだろうな」
「ガソリンのんだ」
「うん……うん?……ガソリン……?」
自殺なのか。そんな壮絶な自殺をするようなやつには見えなかった。でも重度のアル中になるぐらいだから、彼の過去には相応の理由があるのかもしれない。
「おいしかったなあ」
ないのかもしれない。
もう手遅れだ。死んでるのに輪をかけて未だに手遅れだ。思わず涙ぐみそうになる。
俺、知らなかったよ。アル中がこんなに悲しい生き物だなんて。
憐憫が止めどなく湧いてくる俺に、誰かがぶつかってきた。
倒れ込みそうになりながら振り向くと、これは……外国人だろうか?そんな相貌の子供が転んでいる。急いで走ってきてぶつかったらしい。
ふと見ると足元に鍵が落ちている。拾い上げて渡そうとすると、アル中が変なトーンで甲高い声を上げた。
「かぎー!」
「う、うん、そうだな、落ち着け」
いきなり騒ぐんじゃない。傍から見ると俺が一人で喋ってるみたいに見えるんだぞ。ほら。この子も変な目で見てるじゃないか。
「そ、そうじゃなくて」
もう無視することにした。鍵を子供に渡す。
「走るときは気をつけろよ。というか、あれだ、こういう狭い歩道ではあんまり走らないほうがいいぞ」
「……うん」
子供は鍵を受け取って頷くと、忠告を無視して、ものすごい速さで走りだした。めちゃくちゃな走り方だった。どこへ行けばいいのか分からないらしく、道行く人を突き飛ばしながら疾走していく。
「あの鍵、部屋のかぎ!」
「だから走るなって、もう」
「自分の部屋の鍵!」
「うるせえな全く……え?」
なんだって?
「あれ!わたしの!部屋の!かぎ!」
「はぁ!?」
頭がついていかない。バカみたいに、なんとなく腕時計を見る。シフトまで後少し。いやギリギリだ。今すぐ行けば間に合うだろうか。
「待って!かぎ!」
アル中が走りだす。ほとんど進まないうちに、
「おえええろろろろろ」
アル中が吐いた。
「お前の身体ボロボロすぎんだろ!」
視界の中に既にあの子は居ない。しかし走っていった大体の方角は分かる。生活圏の中で子供を一人追いかけるくらい簡単だ。でも、そんなことをする必要は無い。無いんだけど。
「クソ、遅刻確定だ」

2014年12月5日金曜日

不本意


冬が来た。冬が来ていた。
コートの季節で、缶コーヒーの季節で、こたつの季節で、受験の季節だ。
と、イメージは浮かぶものの寒さには負け、努力にも負け、受験を目前に控えても相変わらず早退してミスドの裏にあるカラオケに入り浸っていた。
「優しい嘘ってどんな嘘?」で始まり、最終的に「変態であろうとしたばかりに姉になってしまった倉田くんの兄に、最近の女子大生は変態が普通みたいな記事を読ませないこと」ということに落ち着いてしまい、嘘と誤魔化しのラインが曖昧になった辺りから、あまりの暗い気分に誰ひとりとしてマイクを持たなくなったのがここ二時間のハイライトだ。
延長の電話が来たが、誰も歌っていないので勿体ぶらずに出ることにした。
外へ出ると12月にもかかわらず雪がチラついている。
「で、これからどうする?なんか食いますか?」
「その前にとら寄んねぇ?」
「なんか買うもんあったっけ?」
「今日、電撃のなんか出てたはず。あとCD見るかな」 
「えーハラ減ったんだけど」
「動いてねぇのに何にカロリー使ったんだよ」
コートの前を締めながら歩く。限られた範囲に生活用品からヤバいブツまであるような街だ。オタグッズも勿論ある。そのうえ平日でも無駄に人が多い。この街の中ならどこへ行くにも手袋もマフラーもいらない。
ふと、気付いて立ち止まる。映画館が口を開いている。
メインの通りにある映画館、三つあるウチの一番小さい箱だ。所謂ミニシアター系。
「なぁ、ここってまだやってたっけ?」
少し先に行っていた二人が戻って来る。
看板を見て珍しく驚いた様子だ。
「マジでか、つーかウェンディーズって復活してたのかよ」
「うわ、マジじゃん。後でチーズ芋食おうぜチーズ芋」
「そういやそうだな。で、チェーンも無いし入れそうだけど何やってんの?」
「確かに。それ大事だわ。ライトノベルの楽しい書き方とかならパス」
階段脇のガラスケースにはポスターは無い。ここから見る限り階段踊り場にも無さそうだ。気になる。
顔を見合わせる。
「見てみようぜ。思い出作りだ!」
「言うと思った」
「金あったかな」
各々財布を取り出しながら決まり切った台詞を吐く。大体の行動はこの三行で実行に移せる。皆さん乗り気なようで嬉しいです。
「時間わかんねーけど、ちょっと自転車停めて来るわ」
「んじゃチケ買っとくわ。金くれ」
1500円受け取って階段を降りる。狭い、暗い、階段のヌメッとした光沢が掃除云々でなく不快なのが良い。
2度折り返してようやく売り場が見えた。
「なんか人居なくね?」
「確かに。何か暗さも前より酷い気がする。電気くらい変えろよ」
ついに下まで着く。チケット売り場はガラスの向こうにシャッターが降りており営業時間外を知らせる札がかかっていた。
「「やってらんねー」」
踵を返す時に何かを踏んだ。
「うわっ」
「どうした?」
「何か踏んだ。ゴキより柔い。ヤモリ…?」
「建物だしイモリじゃね…?エンガチョ」
「踏んだ瞬間すら見てねぇだろ」
恐る恐る足を退かすと指だった。根元からだ。男の指だろうか。
二人とも何も言えなくなって地上まで急ぐ。急いだかいがあり直ぐに日が入るが何かおかしい。シアンがかっている。暗闇で目がやられたか?
外へ出ると世界が一変していた。
全てが青い、人も物もぐんにゃりしている。
「頭がおかしくなりそうだ…」
「そりゃ人の指踏めばそうもなるだろ」
「そうじゃね〜だろ。なんだよこれ」
「あ?今は無事出られて良かったねって場面だろ」
「どこが無事なんだよ!ラノベじゃねぇんだぞ!」
「何いってんすか先輩」
隣のグニャグニャは相変わらず不思議そうな声音だ。
これはアレか。僕が頭おかしくなっただけパターンか。
頭がおかしくなりそうだ……。
「やっと出て来た。で、何やってたの?
バカが増えた。
「普通に閉まってたわ」
「んだよそれ。1500円返せ」
押し付けるようにして返した。
ふと気付く。
自分の手は普通だった。気付き、走る。
ロビーのガラスで自分の姿を見る。普通だ。後ろの世界を見る。普通だ。振り返る。異常だ。
「なるほど」
「何がだよ」
後ろから不平が聞こえた。そりゃそうだ。
「銀行寄ってビック行くわ」
「なんか買うの?」
「ビデオ買いに行く。佐木キャラになるわ」



今僕はビデオキャラになっている。
誠に不本意である。

鍵 02

 意地を張るにも金が要る。
勢いで店を飛び出て、あてどなく、パソコンと椅子の設けられた個室(ネットカフェというらしい)等を転々としていたが、元から心もとなかった残金もいよいよ底を尽きかけた。
寝泊まりする場所の確保にしろ、仕事をもらうにしろ、あの店に顔を出さないことにはどうにもならない。
この国でも、祖国でも、子供が深夜に外をうろついていると、警官が声を掛けてくる。
祖国と違ってこの国では、それが治安の維持のためや、純粋に親切心からのものだ、というのが分かってからも、どうしても警官は好きになれない。そもそも私は不法滞在者なのだ。詳しく身元を調べられても困る。
寄る辺ない者共の寄る辺。結局は、そこに戻るしかなかった。


 気乗りがしないままに足を動かし、辿り着くと、店の前に人だかりができている。困ったことに、店の前に停まっている車と、その周りで厳しい顔をしている連中は私服ではあったが、どうやら警察のようだった。この国でよく声をかけてくる警官とは雰囲気が違う。むしろ、彼らは――祖国の警官と近い。なんとなくそれが分かった。思わず身構える。
店の中からぞろぞろと、見知った顔の男たちが警官に追い立てられ、車に乗せられていく。
彼らから距離を取り、遠巻きにどうしたものかと眺めていると、近隣の住民たちの会話が聞こえてきた。
「一斉摘発だってさ」
「ここ最近ご無沙汰なのにね、なんかやらかしたんじゃない」
「特にそれらしいことは聞いてないよ」
「気のいい人たちだったし、ご近所さんとしては問題なかったんだけどね」
「世情かねえ」
聞いているうちに不安が募る。潔白とまでは言わないし、叩けば幾らでも埃が出るやつしか集まって居なかったが、こんなふうに一網打尽にされるほど、この国の警察に睨まれる覚えがない。全員が全員、不法滞在というわけでもないのだ。ふと見ると、就労ビザを持っていた従業員たちも車に詰め込まれていた。
世情?そこまで祖国と、この極東の関係は悪くなっていたんだろうか。そうは思えない。
その時ふと、私服の警官たちの間に、ひっそりと佇んでいる男を見つけた。
忘れもしない。かつて私の教官だった男が、そして、私がここにいる理由が、そこに立っていた。
彼が一瞬こちらを見遣った。近くに立っている警官たちに、彼が何かを耳打ちする様子を見終わらないうちに、私は脱兎のごとく逃げ出す。
なんだか最近ずっと走ってばっかりだ。


 狭い路地に入り込んで息を整える。
これからどうすればいいのか、皆目見当もつかなかった。店には戻れない。金は無い。つまらない盗みやスリで食いつなぐことはできても、それで捕まれば同じことだ。逃げ切れない。
前から逃げ切れていなかったのだろう。だから彼はここまで追ってきた。
私のせいだ。私のせいで、あの店まで潰された。この先も同じかもしれない。せめて私一人で済ますべきだろうか。このまま大人しく捕まってやれば、店に居た仲間は、仲間とも思っては居なかったが、お目こぼしがあるかもしれない。あの無駄話が好きな男はどうなったろう。
そのとき、目の前を何かが横切った。ぎょっとして顔を上げ、飛び退きそうになりつつ、よく見ると、それは一匹の猫だった。安堵すると同時に、疲労が押し寄せてきた。ここ数週間、ずっと寝にくい椅子で丸くなっているだけで、まともに休めていなかったことを思い出す。
地べたに座り込んでしまう。帰りたかった。帰れる場所が欲しかった。泣き出しそうになる。
目の前の猫を見つめながら、途方に暮れていると、猫の首元で光るものを見つけた。
「……?」
どうやら、それは何かの鍵であるらしかった。変わってるな、と思う。
唐突に、店から飛び出したときの、最後の会話が脳裏をよぎる。
隠れ家。追跡不能の。完全な隠れ家。その鍵。
思わず笑いそうになる。あの益体のない話を信じているわけじゃなかった。
それでも。もう他にやることは無かった。
ゆっくり立ち上がる。私の挙動に驚いたのか、猫が逃げていく。
そういえば、追われてばかりいて、追いかけるのは初めてだった。

2014年12月1日月曜日

「性格の割りに行動が短絡的なのが君の良いところだ。これからも頑張りなさい」
褒めてる要素が少ない褒め方で伸びるような奴が居るか。
居た。僕だ。
因みに大学2年の冬に司書のおねぇさん(暗黒微笑)に言われた言葉である。
フリークスを見ている最中にいきなり寄ってきて言われた言葉なので印象に残っている。
言いつけを守ってひねくれたまま成長を続けていた僕だがついに先日ねじ切れてしまった。
それ以来僕は一歩も部屋から出ず、たまにくる犬太郎と遊んでいる。食べ物はロシアンがちょくちょく菓子パンを投げ込んでくれるので問題ない。完璧だ。
電話がなった。今時珍しい二つ折りだ、一言で形容するなら格好が良い。そんな電話。
「こちら風来のフォトグラファー、ただいま精神的休業中で…す?」
のったりとコミュニケーションを叩っ斬ろうとしたらマイク部分から水が噴出した。びっくりして放り投げた。
「あぁ!格好良い携帯が!」
びっくりして放り投げた自分にびっくりした。
そのままアホみたいな顔で携帯を見ていると犬太郎が電源ボタンを押し、水が治まった。
携帯を拾い上げ足元を見回す。
惨状から考えて夢じゃなさそうだ。
「綺羅子!綺羅子!水力発電機を買ってくれ!」

今その携帯は犬太郎の水飲み機に繋がって居る。

2014年11月27日木曜日

好奇

午後七時。見つけただけでも奇跡だと思う。
帰り道のちらつく街灯に呼応する、欠けた金属のちらつきが無ければわかりはしなかっただろう。
僕は、鍵が刺さっているのを見つけた。
壁に。
目を疑いながら近づくと、このぶっ刺さっている鍵はいわゆる一般家庭で使うもののシルエットのようだが、どうやらなにか、乱雑に彫り込んであるらしい。
もっとしっかりと確かめたい。覗き込むように顔を近づけると、軽い音がして、パイロンが壁にめり込むのを見た。
なるほど、新築だったのか。
焦る頭で、目の前にある固まりきっていないコンクリートの壁を見つつ、馬鹿力で折れながらめり込んでいるパイロンから目を背け、そもそも工事中の区画にテントが取り払われていることや作業員が誰もいない謎を把握すると同時に数本の進入禁止テープを吹き飛ばしながらここまで進んできたことに気づくと、自らの相変わらずの不注意と集中に呆れこそするが、刺さったパイロンが全くずり下がらない事に気づいたのは我ながら絶妙のタイミングだった。
コンクリートは、固まり始めている。突き刺さったパイロンを試しに足でつつくと、それなりの固さが伝わってきた。これならあと少しで表面の部分は固まってしまうだろう。コンクリートが固まる仕組みに特別なものがあるのかは全く知るところではないが、露出しているところが一番早く固まるのに決まっている。
衝動と逡巡と韜晦を繰り返す割に、こういうチャンスには恵まれる。しみじみとそう思う。
僕は、躊躇する事無く鍵を引き抜いた。
ハンカチを使って鍵からドロドロのコンクリートを拭き取る。

そこで、視界が瞬間的に奪われた。
「あぁっ、ミスった……。お前、目ぇ赤くなったかも」
写真に撮られたのか。フラッシュを焚いた男は、適当な調子で聞いてもいないことをこちらに謝って来る。こんなときに思う事ではないだろうが、信じられないくらい馴れ馴れしい男だ。
「あー、でも……、ホラ見ろ、この鍵」
男はこちらに近寄りながら、カメラ背面のディスプレイをこちらに見えるように向けた。なんだ、目は別に赤くない。少しだけほっとした。
「見えるよな? これが、『ウチ』の秘密なんだ」
どうやら、なにか、幾何学的な模様が入っているらしい。しばらく画面を見つづけたところで、間抜けがバレないように手元の鍵に目を移す。
「これがなんの形なのかは、俺にはよくわからない。ライブラリーを漁れば、意味ぐらいは分かるらしいけど、そういうのはロシアンだとかに任せてる」
「この鍵は……、なんなんです?」
思わず口を開いてしまった。この男が仕掛けたものだと考えるのが、全ての状況と合致するところだが、どうしてもそうは感じられなかったからだ。
「そうだな、いってみれば、一つの答え、かな」
はぐらかすでもなく答えたように見えた。実感のようなものが、共感として伝わる。
僕は、無言で頷き、返答とした。
「じゃあ、案内しよう」
男はステップでも踏むように体を背け、歩き出した。
つられて歩こうとすると、手元にかろうじて固まりきっていないコンクリ付きのハンカチがあるのを思い出した。可哀想なので、パイロンにぺたりと張り付け、ここを彼らの墓標とすることに決めた。申し訳ない。
そうしていると、通りの向こうの角から、数人が歩いてくるのが聞こえる。ここの番をしていたはずの人達だろう。いまこの瞬間が完全に隙間の時間だったのだと感心していると、自らが犯した過ちの多さに気づく。
「思い出した! 物干竿がこの前の風の日にどっか飛んでっちまったんだよ。これ持ってけお前」
唐突に立ち止まった男は、足下に転がる僕が吹っ飛ばした魑魅魍魎的残骸を指さした。
「あなたがもってくださいよ。別に僕は要らないです」
素面で答える。それどころではない。
「お前オレはカメラ持ってんの。オーバーロードなんだ」
男は肩をすくめるようにしてジェスチャーをした。なんだこいつ。工事のおっちゃん達も帰ってくるってのに何を言うのか。普通にムカついてきた。信じられない。
「いやこれ、普通に窃盗でしょう。よくないですよ」
「散々器物損壊しただろ」
適当な切り返しだが、後ろに広がっている惨状と、近づき続ける人の気配とを意識して、頭はとっくに混乱しきっていた。
ええい、ままよ。僕はおもむろに黄色と黒の縞縞バーを持ち、カメラマンのケツをぶっ叩いた。悲鳴をあげる男がカメラを落としそうになり抗議の声を上げるが、それを遮るようにさっさと行けとどやしつける。

非難がましくぶつくさ言う男を追い立てて、とりあえず、とりあえずの逃避行が始まった。

2014年11月24日月曜日

繰り返し

オレは珍しく機嫌が悪かった。
自分の延長線上にあるような人間の死に立ち会い、ソイツが思った以上にオレを理解していなかったからだ。
でも、そうなると多分オレも彼女を理解してはいなかったわけだし、出来ないまま十数年を過ごしてきたということになる。それを無駄とは言わないが、不甲斐なさだけは拭えなかった。

帰って布団に横になっていると犬太郎が寄ってきて一言吠えた。
手伝わないことを同居人に文句を言われつつ夕飯を食べながらいろいろ考えて結局これから会う人達に賭けることにした。
きっとオレにも彼女を慕っていたオレのような後輩がいつか出来るはずだ。
オレはソイツを理解することを諦めないようにしようと思った。
繋がっている人たちを理解することを諦めないようにしようと思った。

明日は討伐戦だ。早めに寝よう。
期待された分位は頑張ろう。

2014年11月23日日曜日

かまぼこ

昨日、アホがロシアンに麦チョコを与えているところを見かけた。

ロシアンは嫌いじゃないが、あのアホに懐いているのが気に食わない。犬太郎も誰が餌を買ってきてるのかよく考えて動くべきだと思うが、所詮犬だし言っても仕方ないので心に秘めている。
ともかく、俺もロシアンになにか買ってあげたい気持ちになったのでお菓子売り場を見ていたがなんだかどれも体に悪そうなので、好きそうなものよりも食べたことの無さそうなものを買っていくことにした。好きになってくれればなお良い。
と、いうわけで手元には板付きのかまぼこが2つあるのだが、折角だし綺麗に剥がすところから見せてあげたいので待っている。
かまぼこ2つをこたつの上にのせて包丁片手に待っている俺は折角早く帰れた自由な時間の使い方を間違えている気がするが、折角のまともそうな同居人だし可愛がってあげたいと思うのは間違いじゃないだろう。
アホ二人は良いから早く帰ってこないかな。

机の下の戦争

帰宅すると風呂から悲鳴が上がった。口に指を当ててしーっとジェスチャーで伝える。
おそらくいつもの様にお湯が途切れただけだろう。
寄ってきた犬太郎をいなしながらコートを脱ぎ、カバンとカメラと拾ってきたものを部屋におきに行くとドスドスと足音が追ってくるのが聞こえた。慌てて布団に隠す。
ドアが開き、親指で後ろを指さしながら綺羅子が言った。
「お前、ちょっと来い。座れ」
すごすご着いて行き居間のこたつにつくと綺羅子が向かいに座った。犬太郎は僕の背中に尻をくっつけて座っている。
「俺、何回も言ってるよな。変える前に連絡しろって」
「あぁ、うん」
「なんでしなかった?」
「なんか電波が悪くて……」
「だから早めにメールとかでしろって言ってるよな?」
「僕の携帯にそんな機能無いので……」
指が机を叩く速度が上がる。
「俺が渡したやつはどうした?」
「落としたら割れた。画面がデカイのが悪い」
嘘だ。本当は売った。
「てめぇ、マジでどういうっ……誰だお前?」
綺羅子の振り上げた拳はちゃぶ台を痛めつけること無く僕の後ろを指さす事になった。
振り返るとさっき拾ってきた外人の子供が立っていた。
焦った僕が説明するより早くヒステリックに叫ばれ、毎度のごとく僕の体は萎縮してしまった。脊髄反射が恨めしい。
「お前、この部屋の仕組みをいいことに誘拐なんか始めたのか!」
「いや違うんだよ、コイツが鍵持って部屋の前に居たか……「黙れ!」ってぇ!」
言い訳の途中で湯のみを投げつけられる。目の上辺りに当たって痛みでうめき声しか出せない僕を尻目に綺羅子が子供を抱き寄せて玄関に向かっていく。犬太郎だけが心配そうに僕の周りを回っている。
痛すぎて追えないし見えないのでうずくまっていたら一分ほどで戻ってきた。
「事情は大体飲み込めた。コイツは今日から俺らの同居人だ」
「よろしく」
畜生……僕の知らないところで話が進んでいく……っていうかコイツこんな外人チックななりで日本語ペラペラじゃねぇか……。
睨みつけようとしたら頭を踏みつけられた。顔が床にめり込むめり込む。
「お前、コイツ連れてちょっと買い出し行ってこいよ。それでさっきのお湯問題はチャラにしてやる」
「はい、よろこんで」
いくら世帯主の僕でもこうなった綺羅子に対しての拒否権は持ちあわせてはいない。

近くのグルメシティで買い出し中の僕たちはやはり誘拐犯と被害者に見えるのだろうか。兄妹に見えれば余計なイベントが起きずに済むだろうから僕としては助かるのだが。
「悪かったなオッサン。私のせいでそんな顔になっちまって」
「もう良いよ。それより何か苦手なものある?」
ネギ、しそ、玉ねぎ、ひき肉の他にエビを入れるのがうちのやり方だ。前に忘れて帰ったら全員からバッシングを受けたので特に気をつけなければならない。
「いや、何でも食べるよ。紙でも土でもガソリンでもイケる口だ」
「安心したが、それは僕が食べたくない物だから勝手に食べててくれ」
面白いことを言う奴だと思ってしまって悔しい。キョロキョロしながら後ろをチョコチョコ着いてくる感じが犬太郎に近いからかなんだか可愛く思えてきたのもまた悔しい。
「何かお菓子でも買っていく?」
そして、可愛いと思ってほだされて来てる自分が悲しい。
「いらないから早く戻ろう、また何か言われるぞ?」
相変わらずキョロキョロしたまま言った。すぐに浮かれる僕よりもコイツのほうが大人なのかもしれない。

帰り道、一個づつ買い物袋をぶら下げて歩いていると世間話に飽きたのか色々と質問をしてくれた。
例えば、
「オッサンはあの女の人が苦手なのか?」
「オッサンは何をしてる人なんだ?」
「オッサンはあの部屋の鍵をどうやって手に入れた?」
みたいな感じだったが、この後の事を考えて折角だから答えないことにした。
代わりに僕が名前を質問したら渋ったので、見かけだけを理由にロシアンと呼んでもいいか聞くと目を丸くした後一頻り笑って快諾してくれた。


帰宅してロシアン(仮名)に買ってきたものを冷蔵庫にしまって手を洗わせた。
その間に勇者に連絡を入れて色々と頼んでおく。彼はすごく喜んでいるのが電話越しでもわかるので好きだ。
餃子を包むのは初めてだというロシアン(仮名)に日常というかこの部屋での生活のルールを色々教えながら作った餃子を並べていると、ホットプレートを持ってきた綺羅子がそのまま向かいに座って会話に参加してきた。
その際中、きわどい質問があるたびに僕があんまりなぼかし方をして綺羅子に蹴られているのをきっとロシアン(仮名)は知らない。知らないはずだ。
そして、こんなに無様な争いをしていると知られたら大人として恥ずかしいので途中から僕はコタツから撤退した。




2014年11月22日土曜日

鍵 01

 猫を追っていた。
小さな商店街。壊れた看板。その横道。暗く狭い路地裏を疾走しながら、猫を追っていた。
倒れていた自転車に躓きそうになり、ビールケースを蹴飛ばし、時折すれ違う住民の怒号を背に受けながら、視界の端に捉えた尻尾を、ただひたすらに追いかける。
角を曲がる。いつの間にか随分と距離を詰めていた。すぐ目の前にいる猫へと手を伸ばす。
どこか観念したような、そもそも逃げ切る気がなかったような面持ちで、何かを見定めるようにこちらを見やり、おとなしくしている。
その首元を探る。あった。首輪に挟まれていた鍵を取り出す。
ふと気付くと猫は消えていて。手の中に鍵がある。
走り終えて上がった浅い息のまま、路地を抜けて通りへと戻る。風が冷たい。故郷ほどでは無いにせよ、汗が引いた肌には冷たかった。
鍵は手に入れた。すぐにでも使おう。使う必要がある。


 「隠れ家?」
同郷のヤツらが集まる店で――同郷を追われたヤツらが集まる店でその話を聞いた。
「ここだって隠れ家みたいなものだろ」
「そうだけどさ」
金を数えながら聞き流す。心もとない残額と興味のない話にため息を吐く。
「隠れ家って言っても、所詮は人に匿われてるわけだろ、ここもそうだ」
「ああ」
「俺の言ってる隠れ家ってのは、そうじゃないんだよ」
「うん」
「誰に匿われるわけでもないし、嗅ぎつけられることもない、なんというか」
彼は言葉を選んでいるようだった。
祖国でケチな横領をして、極東の島国へ逃げてきて、こんな掃き溜めで、益体のない話を、私みたいなガキに話すのに、何を選ぶ必要があるのか分からないが、彼にとっては、この話をすること自体が面白いことであるらしかった。
目を輝かせるように、言葉を続ける。
「繋がりのない場所なんだ。繋がらない。探しても見つからないし、どこにあるかも分からない」
「そんな場所に、どうやって行くんだよ」
彼のことはそこそこ信頼していた。気に留めていなかった、と言い換えてもいい。
何か重要な話をお互いにすることは無かった。目の前で勘定をしても、なにひとつくすねることなく、よくわからない話を続ける男だ。警戒の必要が無い。
「それなんだよ」
ただ、こんな話ばかりを毎日のように続けることだけは勘弁してほしかった。
「その隠れ家には鍵が要る。鍵を持っているやつだけが隠れ家を見つけ、そこに入ることが出来る」
「ふうん」
「お前なら見つけられると思う」
「え?」
唐突すぎて何を言われたのか分からなかった。
「私が……なんだって?」
「鍵だよ。隠れ家の鍵だ」
「どうして」
どうして、私なら見つけられると思うのか、と聞こうとして、彼の表情がいつになく真剣であることに気付いた。
「その隠れ家へ行けるやつは、鍵を手に入れるやつには、ひとつの傾向がある」
「なんだよ」
「帰る場所や行く宛が無いってことだ」
「そんなもん、私じゃなくたって、ここに居るやつは全員そうだろ」
お前だって。
「ちがう。俺やあいつらは帰ろうと思えば帰れなくはない。だが」
待てよ。
「お前は絶対に国には帰れない」
そこまでこいつに話した覚えは無かった。表情が強張るのを感じながら、おもむろに立ち上がる。
荷物をまとめて引っつかみ、急いで店を出ようとする。後ろから声が掛かった。
「すまない、余計なことを言った、ただ」
ドアを開ける。
「鍵を見つけられるだけの理由が、お前には」
最後の方は聞こえなかった。乱暴にドアを閉め、静かな街を引き裂くように歩き出す。
確かに行く宛は無かった。それが無性に腹立たしくて、一歩ずつ歩を速めていく。
故郷から、あの店から、何もかもから遠ざかるように、走りだした。