2014年12月15日月曜日

密室のヘッドバット

 書店のバイトから帰宅した俺を自室で待ち受けていたのは、箪笥によじ登り頭を天井にがんがん打ちつける知らない男の姿だった。
「うわあああ」
思わずのけぞって玄関のドアに頭を打ちつける。シンクロ。知らない男も俺も今この瞬間は同じ痛みを共有しているのだ。そう思うと親近感が湧いてきた。くるか。
不思議と後頭部の痛みが冷静さを取り戻すことに寄与した。土間の壁に立てかけていた傘を手に取り、
「うわあああ」
投げ槍の要領で知らない男めがけて投擲した。やっぱりまだ冷静じゃないわ俺。ていうか疲れてるんだよ。はやく休ませてくれ。
傘を投げつけられて驚いた男が箪笥から転げ落ち、床の上で鈍くバウンドする。下敷きになった傘がグシャリと曲がる。変な呻き声を上げている男を見ながら、不審者へと更なる追撃を加えるか、それとも通報するか、を思案している時に、ふと妙なことに気付いた。
「鍵、閉まってたよな……?」
確かに鍵を閉めて出勤したはずだ。帰宅した今もそうだった。嫌な予感がする。
「えいっ」
「ぐふっ」
不審者の腹部に飛び乗り両足で踏みつけてから窓までダッシュする。窓もしっかり閉めたはずだ。鍵はかかっている。窓ガラスを割られた形跡もない。
……密室だ。密室殺人だ!殺人ではないな。じゃあなんだろう。密室天井ヘッドバット事件。なるほどね?そういう事件なのね。
「どういう事件だよ!」
混乱したまま怒鳴りつつヘッドバット犯へと向き直る。ゆるせん。よくも俺の休息と天井の耐久年数を害してくれたな。ついでに傘も。勢いのままに脇腹を蹴り上げる。犯人が悲鳴を上げる。
「出てけ!警察呼ぶぞ!」
「かえりらろろゆお」
……まずい。蹴りすぎたか。まともに喋れていないぞ。住居不法侵入と器物破損に対して、いったいどこまで正当防衛が適用されるのか知らないが、明らかにやりすぎた。器物破損も、そもそも傘を投げたのは俺だ。……やばい。
「あー、大丈夫ですか?」
今更遅いかもしれないが気遣っておこう。
「う、か、かえりらい」
「……帰りたい?」
「さへ、さへがのみはい」
「サヘガノミ杯……そんな大会は知らんな」
「酒が飲みたい」
「うわあああ」
いきなり明瞭に喋られてびっくりした。なんだよ酒が飲みたいって。それが人の家に侵入して天井に頭突きした男の言葉か。ふざけるな。
「酒……うう……」
「……アル中なんですか?」
不審者はぐわんぐわんと頭を揺らしている。これで首肯したつもりらしい。
何はともあれ酔っぱらいを家の中に置いておくつもりは毛頭ないので、足を引きずって運び、玄関から叩きだした。
「帰れ!禁酒しろ!」
「酒……」
ドアを閉めて鍵をして洗面所へ向かう。冷たい水で手と顔を洗う。なんなんだ。もういやだ。疲労困憊だ。そもそも帰り着いたらすぐに寝れるように仕事場の手洗いで歯みがきを済ましてきたんだぞ。水道代の節約も兼ねて。
もう何も考えずにベッドへ倒れこんだ。通報することも密室のことも忘れて。どうでもよかった。


 どうでもよくなかった。
しっかり寝過ごして時刻は正午。バイトの時間まで暫くあるのでセーフ。そのぐらいのタイミングで起き出した俺の耳に、何かを何かに打ち付ける音が聞こえてきた。
何かっていうか、頭だった。頭を、天井に、だった。
「……………」
悲鳴を上げたかったが寝起きで声が出ない。眠い。そしてそれ以上に眼前の光景が腹立たしい。意味がわからない。
そこでは、昨日やっとのことで追い出したはずのヘッドバット犯が、揺るぎない信念によって再犯に勤しんでいた。
無言で箪笥を蹴飛ばす。バランスを崩した男が落ちてくる。
「今だ!天を突け!」
落ちてくる男の背骨の真ん中に、右の拳で渾身のアッパーを食らわす。
最高の一撃。最低の目覚め。こんな朝が来ることを誰が想像できただろうか。ていうか昼だった。
くの字に折れ曲がり、空中で軽く吹っ飛んで俺の頭上から軌道を逸らしながら落ちていく。
そのまま気を失って動かなくなる男を尻目に、玄関や窓の戸締まりを確認する。やっぱり、ちゃんと閉まっている。
「……なんなんだ」
嫌な予感は的中していたようだった。的中してほしくないものだ。


 「ほら、飲めよ」
男は、幸いなことに俺の暴行とは関係なく、元から素面では喋れないほどの重度のアル中らしかった。
とりあえず話を聞き出す必要があったので、酒を飲ますことに決め、ふらつく男を引っ立てながら近所の酒販へ連れて行き、安くてそこそこおいしいだろうものを買ってきてやった。店の前でそのまま立ち飲みをさせる。恐ろしい勢いで一気飲みする男。実にもったいない。
ここまでする義理は無いのだが、不思議と、どうしてか、なぜなのか分からないが、ちょっと負い目を感じるので、少しばかり世話を焼くことにした。
「落ち着いたか?」
「おあ」
「喋れてねえじゃねえか!」
ダメだ。アルコールが足りないのか。二本目を買い足す。慌てていたのでさっきより高いやつを手にとってしまった。
「どうだ」
「うん、おいしい、こっちのほうが好きかな」
「てめえ!」
胸ぐらを掴んで揺さぶる。
「あー、ごめん」
とろんとした目で謝ってくる男。気持ち悪い。
腕時計を見る。シフトまで後少し。さっさと本題に入ることにした。
「帰りたいって言ってたよな?どこにだ?」
「へや、自分の部屋です」
「それがどうして人様の部屋の天井に頭突きする理由になるんだ?」
「あなたの部屋の真上なんでしゅよ」
喋り方クッソ腹立つ。
「お前の部屋が?それで?」
「帰れなくなっちって」
「部屋に帰れない?」
あまり聞いたことのないケースだった。
「あのさ、お前」
「あい」
「死んだのっていつ?なんで死んだの?」
「へ?」
「え?」
嘘だろ。漫画やアニメじゃないんだぞ。自分が死んだことに気付いてないヤツなんて、そんなの現実には居るわけないんだ。
「なに?なにが?」
居たよ。どうしよう。
「いや、なんでもない、それで、えーっと、最後に部屋に居た時は何してたんだ?」
「飲んでた」
「そうだろうな」
「ガソリンのんだ」
「うん……うん?……ガソリン……?」
自殺なのか。そんな壮絶な自殺をするようなやつには見えなかった。でも重度のアル中になるぐらいだから、彼の過去には相応の理由があるのかもしれない。
「おいしかったなあ」
ないのかもしれない。
もう手遅れだ。死んでるのに輪をかけて未だに手遅れだ。思わず涙ぐみそうになる。
俺、知らなかったよ。アル中がこんなに悲しい生き物だなんて。
憐憫が止めどなく湧いてくる俺に、誰かがぶつかってきた。
倒れ込みそうになりながら振り向くと、これは……外国人だろうか?そんな相貌の子供が転んでいる。急いで走ってきてぶつかったらしい。
ふと見ると足元に鍵が落ちている。拾い上げて渡そうとすると、アル中が変なトーンで甲高い声を上げた。
「かぎー!」
「う、うん、そうだな、落ち着け」
いきなり騒ぐんじゃない。傍から見ると俺が一人で喋ってるみたいに見えるんだぞ。ほら。この子も変な目で見てるじゃないか。
「そ、そうじゃなくて」
もう無視することにした。鍵を子供に渡す。
「走るときは気をつけろよ。というか、あれだ、こういう狭い歩道ではあんまり走らないほうがいいぞ」
「……うん」
子供は鍵を受け取って頷くと、忠告を無視して、ものすごい速さで走りだした。めちゃくちゃな走り方だった。どこへ行けばいいのか分からないらしく、道行く人を突き飛ばしながら疾走していく。
「あの鍵、部屋のかぎ!」
「だから走るなって、もう」
「自分の部屋の鍵!」
「うるせえな全く……え?」
なんだって?
「あれ!わたしの!部屋の!かぎ!」
「はぁ!?」
頭がついていかない。バカみたいに、なんとなく腕時計を見る。シフトまで後少し。いやギリギリだ。今すぐ行けば間に合うだろうか。
「待って!かぎ!」
アル中が走りだす。ほとんど進まないうちに、
「おえええろろろろろ」
アル中が吐いた。
「お前の身体ボロボロすぎんだろ!」
視界の中に既にあの子は居ない。しかし走っていった大体の方角は分かる。生活圏の中で子供を一人追いかけるくらい簡単だ。でも、そんなことをする必要は無い。無いんだけど。
「クソ、遅刻確定だ」

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