2014年11月22日土曜日

鍵 01

 猫を追っていた。
小さな商店街。壊れた看板。その横道。暗く狭い路地裏を疾走しながら、猫を追っていた。
倒れていた自転車に躓きそうになり、ビールケースを蹴飛ばし、時折すれ違う住民の怒号を背に受けながら、視界の端に捉えた尻尾を、ただひたすらに追いかける。
角を曲がる。いつの間にか随分と距離を詰めていた。すぐ目の前にいる猫へと手を伸ばす。
どこか観念したような、そもそも逃げ切る気がなかったような面持ちで、何かを見定めるようにこちらを見やり、おとなしくしている。
その首元を探る。あった。首輪に挟まれていた鍵を取り出す。
ふと気付くと猫は消えていて。手の中に鍵がある。
走り終えて上がった浅い息のまま、路地を抜けて通りへと戻る。風が冷たい。故郷ほどでは無いにせよ、汗が引いた肌には冷たかった。
鍵は手に入れた。すぐにでも使おう。使う必要がある。


 「隠れ家?」
同郷のヤツらが集まる店で――同郷を追われたヤツらが集まる店でその話を聞いた。
「ここだって隠れ家みたいなものだろ」
「そうだけどさ」
金を数えながら聞き流す。心もとない残額と興味のない話にため息を吐く。
「隠れ家って言っても、所詮は人に匿われてるわけだろ、ここもそうだ」
「ああ」
「俺の言ってる隠れ家ってのは、そうじゃないんだよ」
「うん」
「誰に匿われるわけでもないし、嗅ぎつけられることもない、なんというか」
彼は言葉を選んでいるようだった。
祖国でケチな横領をして、極東の島国へ逃げてきて、こんな掃き溜めで、益体のない話を、私みたいなガキに話すのに、何を選ぶ必要があるのか分からないが、彼にとっては、この話をすること自体が面白いことであるらしかった。
目を輝かせるように、言葉を続ける。
「繋がりのない場所なんだ。繋がらない。探しても見つからないし、どこにあるかも分からない」
「そんな場所に、どうやって行くんだよ」
彼のことはそこそこ信頼していた。気に留めていなかった、と言い換えてもいい。
何か重要な話をお互いにすることは無かった。目の前で勘定をしても、なにひとつくすねることなく、よくわからない話を続ける男だ。警戒の必要が無い。
「それなんだよ」
ただ、こんな話ばかりを毎日のように続けることだけは勘弁してほしかった。
「その隠れ家には鍵が要る。鍵を持っているやつだけが隠れ家を見つけ、そこに入ることが出来る」
「ふうん」
「お前なら見つけられると思う」
「え?」
唐突すぎて何を言われたのか分からなかった。
「私が……なんだって?」
「鍵だよ。隠れ家の鍵だ」
「どうして」
どうして、私なら見つけられると思うのか、と聞こうとして、彼の表情がいつになく真剣であることに気付いた。
「その隠れ家へ行けるやつは、鍵を手に入れるやつには、ひとつの傾向がある」
「なんだよ」
「帰る場所や行く宛が無いってことだ」
「そんなもん、私じゃなくたって、ここに居るやつは全員そうだろ」
お前だって。
「ちがう。俺やあいつらは帰ろうと思えば帰れなくはない。だが」
待てよ。
「お前は絶対に国には帰れない」
そこまでこいつに話した覚えは無かった。表情が強張るのを感じながら、おもむろに立ち上がる。
荷物をまとめて引っつかみ、急いで店を出ようとする。後ろから声が掛かった。
「すまない、余計なことを言った、ただ」
ドアを開ける。
「鍵を見つけられるだけの理由が、お前には」
最後の方は聞こえなかった。乱暴にドアを閉め、静かな街を引き裂くように歩き出す。
確かに行く宛は無かった。それが無性に腹立たしくて、一歩ずつ歩を速めていく。
故郷から、あの店から、何もかもから遠ざかるように、走りだした。

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