2015年1月8日木曜日

冬虫夏草

 不思議な面々との共同生活を始めてから数週間が経った。妙なアパートの一室での暮らしは思っていた以上に快適だ。カメラマンのおっさんもキラコも良くしてくれているし、おっさんの飼い犬の犬太郎も可愛かった。犬太郎に関してはこないだ迷子になったきり会えていないのが悲しいけれど。何より生活費がかからないのが嬉しかった。住むところもあるし食事にもありつける。久しぶりの穏やかで安定した生活。だけど問題が一つだけあった。
「金が無い?」
「うん」
家賃はおっさんが払ってくれているし、食費光熱費はキラコとおっさんの折半だ。私の財布と貯金箱からは一円も出していなかった。おっさんの外出に付いて行った時なんかは、私の分の買い物までおっさんが金を出してくれる。それなのに、残金が減っていくのだ。
「それは、お前、たぶん……あのバカが勝手に……いや、そうだ」
その旨をキラコに相談すると、彼女はなんだか言い澱んだ挙句に、ぽん、と膝を打った。
「金が無けりゃ稼ぐしかないよな」
「そうだけど、もう仕事の当てが無くて」
「俺に任せとけ」
「仕事くれるのか?」
思わず目を輝かせてしまう。
「いや、ちげえよ……ていうか俺の斡旋する仕事やりたいのか?」
「どんな仕事なんだ?」
「あー、えっと、うーん」
キラコはまた言い澱む。さっきとは違ってばつの悪そうな感じだ。
「その話は今はいいんだよ」
話を切り上げてキラコが立ち上がり、壁に掛かっていたハンガーから上着を取る。
そのまま玄関へ向かう彼女を追いかけながら、質問する。
「仕事以外で稼ぐのか?盗み?」
「ちげえよ、お前どんな育ちしてんだよ」
かがんで靴を履きながら、こちらを振り返り、彼女は言う。
「手っ取り早く稼ぐっていったら、決まってんだろ」
「?」
「賭けだよ」


 キラコに連れられてやってきたのは大きいスタジアムのような場所だった。
「スポーツ見るのか?」
「賭けだ、っつったろ?競馬だよ」
「競馬?」
「ここが馬券売場な、お前、この中で好きな馬いるか」
彼女の指差す先のモニターと掲示板を見る。そこに並んでいたのは、
「……馬?」
どう見ても、きのこだった。色とりどりのきのこが、モニターの中でうねうねと動き回っている。
よくよく見ると、どれも何かの動物の首から生えているらしく、寄生されている動物も首なしのくせに元気そうに動いていた。
「適当に選べばいいんだよ、なんとなくで良いから、好きなの選べ」
「え、えー……」
競馬は初めてだからどうすればいいのか全くわからない。何よりこんなにエキゾチックなものだとは知らなかった。
ふと巨大な椎茸を首から生やした犬が目に留まる。昨日食べた鍋にも椎茸が入っていた。
「じゃあこいつ。おいしそうだし」
「シイタケコヨーテな。俺はケセランパセランで」


 観客席に座る。競馬場は大入り満員だった。
「なんか飲むか?」
喧騒に負けないようにキラコが声を張り上げる。
「オレンジジュース!100%じゃないやつ!」
「お前結構図々しいよな!」
飲み物を買いに行くキラコを見送ってから、コーストラックのほうへと視線を戻す。
なんだかわくわくしてきた。初めて観る競馬。初めての賭け。周りを見渡すと、みんな新聞やラジオを手に、必死に予想を立てて何かを書き込んでいる。
……キラコが戻ってこない。
結構長い間待っているような気がするのだけど、一向に彼女は姿を見せない。
オレンジジュース売ってなかったのかな?などと思っていると、ついにレースが始まってしまった。
気もそぞろに観戦していると、なんだか馬……馬?きのこ?達の様子がおかしいことに気付いた。
始めは順調に走り出していたのだが、トラックを一周もしないうちに、そのうちの一頭に吸い寄せられるようにして倒れこんでいく。ひどく巨大な白カビみたいなやつの周りに全ての馬が倒れこみ、その巨大な白カビも歩みを止めてしまった。客がざわめく。突如として警報が鳴る。
――競技用として認可されていない菌の使用を確認しました。担当職員は速やかに処分にあたってください――
観客席の最後列の通用口から次々に武装した警備員が飛び出してくる。彼らが手にした銃や火炎放射器を白カビの馬に向けた途端、更に通用口の奥の暗がりから何かが飛び出してきた。大量の白カビ。
抵抗する間もなく警備員たちは白カビの触手に絡め取られていく。
大パニックだった。競馬場一面が白く覆い尽くされそうな中で、悲鳴を上げながら逃げ惑う客が、次々とカビに取り込まれていく。
キラコは。キラコはどこだ。飛びかかってくる触手を避けながらキラコを探す。飲み物を売っているスタンドのあたりまで全力で走る。
スタンドの前で倒れている白い繭から、艶やかな長い髪がはみ出していた。
「……キラコ!」
「……ロシアンか、何やってんだ、早く外に出ろ」
「今助ける!」
急いで駆け寄り繭を引き千切ろうとする。カビの糸は頑丈でびくともしない。ナイフを取り出して切り裂く。切った端から元通りになっていく。
「……くそっ!」
なんだよこれは。どうすればいい。
「もういい、俺は大丈夫だから急いで避難しろ」
「大丈夫なわけない!」
段々と衰弱していくキラコの声に焦りが募る。
近くで何かが動く音が聞こえた。キラコを庇うように身構える。
物音を立てたのは座り込んでいた警備員のようだった。かなり重傷らしく、息も絶え絶えで肩を押さえている。
かすれた息で警備員は話す。
「避難経路は塞がってます、救助が来るのを待ってください」
「救助はいつ来るんだ」
「わかりません」
……業を煮やして叫んでしまう。
「どうすればいいのか教えろ!どうすればこのカビは止まる!」
「無理だ、非合法の菌は培養株と繋がってる間めちゃくちゃに増え続ける」
返事はキラコから来た。
「増殖を早めるために馬の内部に活性プラントが仕込んである。それも含めて違法なんだ。だから繋がってる間はクソみてえに丈夫だよ」
「……はい」
警備員が答える。
「おそらくは粗悪な活性プラントが制御を失ったのでしょう。複数人で十字砲火すれば止められたのですが、その前に」
「このざまだ。なあ?」
「……すみません」
キラコと警備員の会話を聞き終えて立ち上がる。
「わかった」
「え?」
「わかった、って、お前、何する気だよ」
二人に背を向けて競馬場の中央へと向き直る。
「警備員さん、キラコのこと見てて」
走りだす。


 観客席は当たり一面真っ白だった。まるで雪景色だ。
「あ、あったあった」
床に落ちていた火炎放射器と銃とを拾い上げる。そのまま横に飛ぶと、さっきまで居た位置にカビが襲い来る。
走って逃げながらお目当てのものを拾い集めていく。
「こんなもんでいいかな」
観客席を駆け下り、コースへと飛び降りる。白カビの馬へと突進する。
アサルトライフルを構えながら歯噛みする。くそ。良い銃だな。こんなの欲しかったよ。
馬を守るように、四方から触手が飛んでくる。それらを撃ち落とし、転げるように躱しながら馬との距離を詰めていく。
火炎放射器から外しておいた燃料缶を馬に投げつける。すかさず撃ち抜く。爆発。少しだけ馬の表面が露出するが、すぐにカビに覆われてしまう。
だめだ。ここじゃない。
同じ作業を違う方向から何度か繰り返す。そのたび馬の……動物の部分の毛皮が少しだけ見えて、またすぐに覆われる。
何度目かの爆発の直後。焼けて吹き飛んだ毛皮の下に何かの異物を見つけた。粗い縫合の跡を残す肉が再生し、毛皮が戻り、またカビに覆われる。ここだ!
その箇所目掛けて燃料缶を投げる。銃を片手に持ち替えて連射する。爆発。間髪入れずに燃料缶を投げる。目指すのは爆発で削げた肉の空洞。吸い込まれるように缶が入って。肉が閉じていく。フルオート。横から触手が飛んでくる。避ける余裕は無い。そのまま撃ち続ける。馬が内側から鈍く爆発して、自ら築き上げた白い檻の中でぐちゃぐちゃになったのを見届けないうちに、触手に吹っ飛ばされた。


 「いやー、病院食うまいわー」
キラコはベッドの上で上機嫌そうだった。
「全部あっち持ちで食わしてくれてるっていうのを差し引いてもうまいわー」
私はと言えば、正反対に不機嫌そのものだった。
「おっさんの飯のほうがうまい」
「は?何言ってんだ、あいつ殆ど鍋しか作らねえのに」
「鍋でもうまい」
「こないだの餃子なんかカレー入ってたんだぜ、信じられん」
「あれは私が作った」
「……マジ?」
バカみたいな会話をしながら窓の外を見る。白く煌めく粉塵が降ってきているのを見て、一瞬身体が強張る。……なんだ。雪か。
綺麗に折れた足をギプスに固定されて一週間が経った。キラコは特に容態に問題は無いらしい。
問題ないくせに入院しているのは、「俺の身体は商売道具だから、大事を取って」だそうだ。
あの競馬場のオーナーと一方的に話をつけたのもキラコだった。
キラコが自分のボスや客の名前を出して脅していたら、オーナーが真っ青になって、事件の被害者の中でも特に好待遇で入院費用から何から全部出してくれた。おまけに馬までくれた。
「大変だったな、シイタケコヨーテ」
「そいつさぁ、絶対コヨーテじゃないぞ、明らか小さいし」
「キラコうるさい」
「えー」
ベッドの上でシイタケコヨーテを撫でながらため息を吐く。とんだ災難だった。
「やっぱりお金は働いて稼ぐのが一番だ、賭けなんかダメだな」
「盗みよりマシだろ」
「うるさい」
競馬場で私が何をしたのかを、私はキラコに説明していない。キラコも私に聞いてこなかった。
こういうときに根掘り葉掘り聞かないのが、キラコの良いところだなと思う。
「キラコはダメダメだなー、なー、シイコヨ」
「シイコヨって略し方はどうなんだ」
いつになく饒舌なキラコを無視してシイコヨを撫でながら、なんだか既視感を覚える。
「シイコヨ……お前どっかで会ったことある?」
なんだか撫で心地が記憶にあるような気がする。
「そういや犬太郎どこ行ったんだろうな、雷鳴ってた時に出てったきりだろ」
え、いや、そんな。
「どこほっつき歩いてんだろうなー」
シイコヨを持ち上げて顔をじっと見る。もう今は顔じゃなくて椎茸なんだけど。
「お前……もしかして……犬太郎?」

2015年1月5日月曜日

代金未納

下着ドロが出た。
気が付いたらお仕事用の下着が2セット消えていた。
そして、俺は個人的にそういう趣味があるわけでは無いから2セットしか持っていない。
仕方が無いのでアホに買わせに行かせた(あっちの方が段違いで可愛いのだ)ら、とことんアホさを発揮してあっちの憲兵に連行されてきた。

「では……本当に頼まれたものを買っていただけなのですね?」
苦笑いで頷く。憲兵は恐縮しきってアホを離した。
「失礼しました!」
「本当だよ、これ大問題だよ?警察の責任問題ですよ。何の非も無い一般人を首根っこ掴んで連れ回した……いって」
アホの頭をはたく。
「まぁ、大方こっちにも非はあると思いますんで、とりあえず分かっていただけたなら良いです」
にこやかにまとめに入ったら憲兵が無駄な時間を作り始めた。
「立ち入った事をお聞きしますが……お二人はどういったご関係で?」
「てめぇに関係ねーだろ!!いいから謝罪しろ!謝罪!」
よく言った。そして黙れ。アホがニヤニヤしてるのを見て溜息が出た。
見かねて止めに入ろうとしたが何と言えばいいか分からないうちに苦手な相手が来た。
「ちょっと!うちで騒ぎ起こすのやめてよね!」
相変わらずパーマがキツイ。
「お久しぶりです、大家さん!家賃は滞納してませんよね?何も言われること無いですよね?!」
「払ってるから。いきなりそんな確認しなくて良いから」
あ、普通に突っ込んでしまった。
大家が煙草の火を手すりで消して吸い殻を外に投げた。自分ちの上物だからって危機感ねーなこのオバンも。
「滞納はしてないけど良い加減ヒモは卒業しなさいな」
「ヒモじゃねーよ!ぶっ殺す!」
「あらぁこわいわぁ助けておまわりさぁん」
大家が憲兵にしなだれかかる。
憲兵がこっちを向いて心底げんなりして言う。
「あの、部外者がこんなこと言うのもアレですが、もう少し付き合う相手を選んだ方が……」
どれに対して言ってるかわからんが、うるせぇ。
大家がからかうようにモーション付きで突っ込んできた。
「でも、この子が良いんだもんねぇ?」
うるせぇ、死ね。
「あのねぇ、この子夢があるのよ。ね?」
アホに確認するように聞いた。
「……は、はい。有ります夢……頑張ってます毎日本当……」
あ、目逸らした。コイツの優しくされると心を病む癖は治んないんだな、きっと、一生。
まぁ、優しい優しいオバちゃんに嘘ついてるわけだし、それを気に病んでるんだから良心が無いわけじゃないと思おうか。
収集がつかなくなってきた辺りでロシアンが帰ってきたので、後を頼んだ。
着替えて仕事の準備をする。そういえば金曜日か。なんか今更思い出したけどハロウィンフェアだったから着衣メインだし別に何でも良かったな。





2015年1月2日金曜日

オーガニックな休日

近所の畑をぼーっと見ていたら首の無い猫の死体を見つけた。
草刈りついでに首も狩られたらしい。
しゃがんで木の枝でつついていたら後ろから声をかけられた。
「貴方、なんでそれを猫だと思ったの?」
なんでってそりゃ……「形から想像しただけでしょ?」
心を読まれた。と、一瞬思ったが普通みんなそうだろうとも思った。
「じゃあ逆に聞くが他に何の可能性があるんだよ」
いじけたように死体をつつきながら聞いてみた。
「可能性だけなら、なんだってあるわ」
「なんでもねぇ」
立ち上がる。枝を投げてカメラを肩に掛け直す。
「じゃあ実はあれ、君なのかもな」
振り返ると首の無いゴスロリが立っていた。
「あら、知ってたの?」
「あんたが僕に話し掛けるのは用事がある時だけだからな」
首から上がないから美少女に見える。
「しかし人じゃないとは思っていたが化け猫だったのか」
「化け猫じゃないわ。猫に化けてたのよ」
ゴスロリがやれやれといったポーズをした。そして高圧的に僕を指差す。
「首を探して。暇でしょ?」
「首無くても見えてて喋れてるんなら別に良いんじゃないすかね」
「良いわけ無いじゃない」
そのまま指で頬を刺された。
「その方が可愛いよ」
「貴方の特殊な性癖に合わせるメリットが無いわ」
せやな。
でも、そんなこといったら最近なんにも世話にもなってないし返すような恩とかねぇんだよな。
「最近、楽しいでしょう?」
「目が無いのによく分かったな。後輩が出来たんだよ」
「どんじゃらのオールマイティみたいな子で良いでしょう?」
「流石よく知っておいでで」
「あの子が鍵を見つけた場所って野良猫の首なのよ」
あぁ、なる。
「じゃあ後はよろしく、見つけたら部屋まで持ってきて。」



この後、人の畑を数時間荒らした末に猫の首持って歩いてる僕が職質を華麗に三回以下に抑えた話はまた今度。

ハンデ

思い立ったので占い通りを通ってみたら懐かしい奴にあった。
「やぁ、モノクロ野郎」
「よう、カスカメラマン」
見つめあう。
一秒位で二人して吹き出した。
近付いて軽く握手をした。
「元気だったか兄弟」
「まぁ、ボチボチってとこだよ。そっちは?」
「相変わらず死なない体でダラダラやってるよ」
相変わらず自分の仕事を放棄しているようだ。
「天使ってのは楽な仕事だな」
「そうでもないさ。なんせ今となってはどこを見ても観察対象だからな。寄り添う暇もない」
「そうか。これ何色に見える?」
カバンから写真を取り出して見せる。
「うーん暗いからよくわからんがやっぱりモノクロに見えるな」
「まぁ、モノクロだからな!」
「なんだそりゃ」
二人して笑った。


お茶して帰った。

2014年12月15日月曜日

密室のヘッドバット

 書店のバイトから帰宅した俺を自室で待ち受けていたのは、箪笥によじ登り頭を天井にがんがん打ちつける知らない男の姿だった。
「うわあああ」
思わずのけぞって玄関のドアに頭を打ちつける。シンクロ。知らない男も俺も今この瞬間は同じ痛みを共有しているのだ。そう思うと親近感が湧いてきた。くるか。
不思議と後頭部の痛みが冷静さを取り戻すことに寄与した。土間の壁に立てかけていた傘を手に取り、
「うわあああ」
投げ槍の要領で知らない男めがけて投擲した。やっぱりまだ冷静じゃないわ俺。ていうか疲れてるんだよ。はやく休ませてくれ。
傘を投げつけられて驚いた男が箪笥から転げ落ち、床の上で鈍くバウンドする。下敷きになった傘がグシャリと曲がる。変な呻き声を上げている男を見ながら、不審者へと更なる追撃を加えるか、それとも通報するか、を思案している時に、ふと妙なことに気付いた。
「鍵、閉まってたよな……?」
確かに鍵を閉めて出勤したはずだ。帰宅した今もそうだった。嫌な予感がする。
「えいっ」
「ぐふっ」
不審者の腹部に飛び乗り両足で踏みつけてから窓までダッシュする。窓もしっかり閉めたはずだ。鍵はかかっている。窓ガラスを割られた形跡もない。
……密室だ。密室殺人だ!殺人ではないな。じゃあなんだろう。密室天井ヘッドバット事件。なるほどね?そういう事件なのね。
「どういう事件だよ!」
混乱したまま怒鳴りつつヘッドバット犯へと向き直る。ゆるせん。よくも俺の休息と天井の耐久年数を害してくれたな。ついでに傘も。勢いのままに脇腹を蹴り上げる。犯人が悲鳴を上げる。
「出てけ!警察呼ぶぞ!」
「かえりらろろゆお」
……まずい。蹴りすぎたか。まともに喋れていないぞ。住居不法侵入と器物破損に対して、いったいどこまで正当防衛が適用されるのか知らないが、明らかにやりすぎた。器物破損も、そもそも傘を投げたのは俺だ。……やばい。
「あー、大丈夫ですか?」
今更遅いかもしれないが気遣っておこう。
「う、か、かえりらい」
「……帰りたい?」
「さへ、さへがのみはい」
「サヘガノミ杯……そんな大会は知らんな」
「酒が飲みたい」
「うわあああ」
いきなり明瞭に喋られてびっくりした。なんだよ酒が飲みたいって。それが人の家に侵入して天井に頭突きした男の言葉か。ふざけるな。
「酒……うう……」
「……アル中なんですか?」
不審者はぐわんぐわんと頭を揺らしている。これで首肯したつもりらしい。
何はともあれ酔っぱらいを家の中に置いておくつもりは毛頭ないので、足を引きずって運び、玄関から叩きだした。
「帰れ!禁酒しろ!」
「酒……」
ドアを閉めて鍵をして洗面所へ向かう。冷たい水で手と顔を洗う。なんなんだ。もういやだ。疲労困憊だ。そもそも帰り着いたらすぐに寝れるように仕事場の手洗いで歯みがきを済ましてきたんだぞ。水道代の節約も兼ねて。
もう何も考えずにベッドへ倒れこんだ。通報することも密室のことも忘れて。どうでもよかった。


 どうでもよくなかった。
しっかり寝過ごして時刻は正午。バイトの時間まで暫くあるのでセーフ。そのぐらいのタイミングで起き出した俺の耳に、何かを何かに打ち付ける音が聞こえてきた。
何かっていうか、頭だった。頭を、天井に、だった。
「……………」
悲鳴を上げたかったが寝起きで声が出ない。眠い。そしてそれ以上に眼前の光景が腹立たしい。意味がわからない。
そこでは、昨日やっとのことで追い出したはずのヘッドバット犯が、揺るぎない信念によって再犯に勤しんでいた。
無言で箪笥を蹴飛ばす。バランスを崩した男が落ちてくる。
「今だ!天を突け!」
落ちてくる男の背骨の真ん中に、右の拳で渾身のアッパーを食らわす。
最高の一撃。最低の目覚め。こんな朝が来ることを誰が想像できただろうか。ていうか昼だった。
くの字に折れ曲がり、空中で軽く吹っ飛んで俺の頭上から軌道を逸らしながら落ちていく。
そのまま気を失って動かなくなる男を尻目に、玄関や窓の戸締まりを確認する。やっぱり、ちゃんと閉まっている。
「……なんなんだ」
嫌な予感は的中していたようだった。的中してほしくないものだ。


 「ほら、飲めよ」
男は、幸いなことに俺の暴行とは関係なく、元から素面では喋れないほどの重度のアル中らしかった。
とりあえず話を聞き出す必要があったので、酒を飲ますことに決め、ふらつく男を引っ立てながら近所の酒販へ連れて行き、安くてそこそこおいしいだろうものを買ってきてやった。店の前でそのまま立ち飲みをさせる。恐ろしい勢いで一気飲みする男。実にもったいない。
ここまでする義理は無いのだが、不思議と、どうしてか、なぜなのか分からないが、ちょっと負い目を感じるので、少しばかり世話を焼くことにした。
「落ち着いたか?」
「おあ」
「喋れてねえじゃねえか!」
ダメだ。アルコールが足りないのか。二本目を買い足す。慌てていたのでさっきより高いやつを手にとってしまった。
「どうだ」
「うん、おいしい、こっちのほうが好きかな」
「てめえ!」
胸ぐらを掴んで揺さぶる。
「あー、ごめん」
とろんとした目で謝ってくる男。気持ち悪い。
腕時計を見る。シフトまで後少し。さっさと本題に入ることにした。
「帰りたいって言ってたよな?どこにだ?」
「へや、自分の部屋です」
「それがどうして人様の部屋の天井に頭突きする理由になるんだ?」
「あなたの部屋の真上なんでしゅよ」
喋り方クッソ腹立つ。
「お前の部屋が?それで?」
「帰れなくなっちって」
「部屋に帰れない?」
あまり聞いたことのないケースだった。
「あのさ、お前」
「あい」
「死んだのっていつ?なんで死んだの?」
「へ?」
「え?」
嘘だろ。漫画やアニメじゃないんだぞ。自分が死んだことに気付いてないヤツなんて、そんなの現実には居るわけないんだ。
「なに?なにが?」
居たよ。どうしよう。
「いや、なんでもない、それで、えーっと、最後に部屋に居た時は何してたんだ?」
「飲んでた」
「そうだろうな」
「ガソリンのんだ」
「うん……うん?……ガソリン……?」
自殺なのか。そんな壮絶な自殺をするようなやつには見えなかった。でも重度のアル中になるぐらいだから、彼の過去には相応の理由があるのかもしれない。
「おいしかったなあ」
ないのかもしれない。
もう手遅れだ。死んでるのに輪をかけて未だに手遅れだ。思わず涙ぐみそうになる。
俺、知らなかったよ。アル中がこんなに悲しい生き物だなんて。
憐憫が止めどなく湧いてくる俺に、誰かがぶつかってきた。
倒れ込みそうになりながら振り向くと、これは……外国人だろうか?そんな相貌の子供が転んでいる。急いで走ってきてぶつかったらしい。
ふと見ると足元に鍵が落ちている。拾い上げて渡そうとすると、アル中が変なトーンで甲高い声を上げた。
「かぎー!」
「う、うん、そうだな、落ち着け」
いきなり騒ぐんじゃない。傍から見ると俺が一人で喋ってるみたいに見えるんだぞ。ほら。この子も変な目で見てるじゃないか。
「そ、そうじゃなくて」
もう無視することにした。鍵を子供に渡す。
「走るときは気をつけろよ。というか、あれだ、こういう狭い歩道ではあんまり走らないほうがいいぞ」
「……うん」
子供は鍵を受け取って頷くと、忠告を無視して、ものすごい速さで走りだした。めちゃくちゃな走り方だった。どこへ行けばいいのか分からないらしく、道行く人を突き飛ばしながら疾走していく。
「あの鍵、部屋のかぎ!」
「だから走るなって、もう」
「自分の部屋の鍵!」
「うるせえな全く……え?」
なんだって?
「あれ!わたしの!部屋の!かぎ!」
「はぁ!?」
頭がついていかない。バカみたいに、なんとなく腕時計を見る。シフトまで後少し。いやギリギリだ。今すぐ行けば間に合うだろうか。
「待って!かぎ!」
アル中が走りだす。ほとんど進まないうちに、
「おえええろろろろろ」
アル中が吐いた。
「お前の身体ボロボロすぎんだろ!」
視界の中に既にあの子は居ない。しかし走っていった大体の方角は分かる。生活圏の中で子供を一人追いかけるくらい簡単だ。でも、そんなことをする必要は無い。無いんだけど。
「クソ、遅刻確定だ」

2014年12月5日金曜日

不本意


冬が来た。冬が来ていた。
コートの季節で、缶コーヒーの季節で、こたつの季節で、受験の季節だ。
と、イメージは浮かぶものの寒さには負け、努力にも負け、受験を目前に控えても相変わらず早退してミスドの裏にあるカラオケに入り浸っていた。
「優しい嘘ってどんな嘘?」で始まり、最終的に「変態であろうとしたばかりに姉になってしまった倉田くんの兄に、最近の女子大生は変態が普通みたいな記事を読ませないこと」ということに落ち着いてしまい、嘘と誤魔化しのラインが曖昧になった辺りから、あまりの暗い気分に誰ひとりとしてマイクを持たなくなったのがここ二時間のハイライトだ。
延長の電話が来たが、誰も歌っていないので勿体ぶらずに出ることにした。
外へ出ると12月にもかかわらず雪がチラついている。
「で、これからどうする?なんか食いますか?」
「その前にとら寄んねぇ?」
「なんか買うもんあったっけ?」
「今日、電撃のなんか出てたはず。あとCD見るかな」 
「えーハラ減ったんだけど」
「動いてねぇのに何にカロリー使ったんだよ」
コートの前を締めながら歩く。限られた範囲に生活用品からヤバいブツまであるような街だ。オタグッズも勿論ある。そのうえ平日でも無駄に人が多い。この街の中ならどこへ行くにも手袋もマフラーもいらない。
ふと、気付いて立ち止まる。映画館が口を開いている。
メインの通りにある映画館、三つあるウチの一番小さい箱だ。所謂ミニシアター系。
「なぁ、ここってまだやってたっけ?」
少し先に行っていた二人が戻って来る。
看板を見て珍しく驚いた様子だ。
「マジでか、つーかウェンディーズって復活してたのかよ」
「うわ、マジじゃん。後でチーズ芋食おうぜチーズ芋」
「そういやそうだな。で、チェーンも無いし入れそうだけど何やってんの?」
「確かに。それ大事だわ。ライトノベルの楽しい書き方とかならパス」
階段脇のガラスケースにはポスターは無い。ここから見る限り階段踊り場にも無さそうだ。気になる。
顔を見合わせる。
「見てみようぜ。思い出作りだ!」
「言うと思った」
「金あったかな」
各々財布を取り出しながら決まり切った台詞を吐く。大体の行動はこの三行で実行に移せる。皆さん乗り気なようで嬉しいです。
「時間わかんねーけど、ちょっと自転車停めて来るわ」
「んじゃチケ買っとくわ。金くれ」
1500円受け取って階段を降りる。狭い、暗い、階段のヌメッとした光沢が掃除云々でなく不快なのが良い。
2度折り返してようやく売り場が見えた。
「なんか人居なくね?」
「確かに。何か暗さも前より酷い気がする。電気くらい変えろよ」
ついに下まで着く。チケット売り場はガラスの向こうにシャッターが降りており営業時間外を知らせる札がかかっていた。
「「やってらんねー」」
踵を返す時に何かを踏んだ。
「うわっ」
「どうした?」
「何か踏んだ。ゴキより柔い。ヤモリ…?」
「建物だしイモリじゃね…?エンガチョ」
「踏んだ瞬間すら見てねぇだろ」
恐る恐る足を退かすと指だった。根元からだ。男の指だろうか。
二人とも何も言えなくなって地上まで急ぐ。急いだかいがあり直ぐに日が入るが何かおかしい。シアンがかっている。暗闇で目がやられたか?
外へ出ると世界が一変していた。
全てが青い、人も物もぐんにゃりしている。
「頭がおかしくなりそうだ…」
「そりゃ人の指踏めばそうもなるだろ」
「そうじゃね〜だろ。なんだよこれ」
「あ?今は無事出られて良かったねって場面だろ」
「どこが無事なんだよ!ラノベじゃねぇんだぞ!」
「何いってんすか先輩」
隣のグニャグニャは相変わらず不思議そうな声音だ。
これはアレか。僕が頭おかしくなっただけパターンか。
頭がおかしくなりそうだ……。
「やっと出て来た。で、何やってたの?
バカが増えた。
「普通に閉まってたわ」
「んだよそれ。1500円返せ」
押し付けるようにして返した。
ふと気付く。
自分の手は普通だった。気付き、走る。
ロビーのガラスで自分の姿を見る。普通だ。後ろの世界を見る。普通だ。振り返る。異常だ。
「なるほど」
「何がだよ」
後ろから不平が聞こえた。そりゃそうだ。
「銀行寄ってビック行くわ」
「なんか買うの?」
「ビデオ買いに行く。佐木キャラになるわ」



今僕はビデオキャラになっている。
誠に不本意である。

鍵 02

 意地を張るにも金が要る。
勢いで店を飛び出て、あてどなく、パソコンと椅子の設けられた個室(ネットカフェというらしい)等を転々としていたが、元から心もとなかった残金もいよいよ底を尽きかけた。
寝泊まりする場所の確保にしろ、仕事をもらうにしろ、あの店に顔を出さないことにはどうにもならない。
この国でも、祖国でも、子供が深夜に外をうろついていると、警官が声を掛けてくる。
祖国と違ってこの国では、それが治安の維持のためや、純粋に親切心からのものだ、というのが分かってからも、どうしても警官は好きになれない。そもそも私は不法滞在者なのだ。詳しく身元を調べられても困る。
寄る辺ない者共の寄る辺。結局は、そこに戻るしかなかった。


 気乗りがしないままに足を動かし、辿り着くと、店の前に人だかりができている。困ったことに、店の前に停まっている車と、その周りで厳しい顔をしている連中は私服ではあったが、どうやら警察のようだった。この国でよく声をかけてくる警官とは雰囲気が違う。むしろ、彼らは――祖国の警官と近い。なんとなくそれが分かった。思わず身構える。
店の中からぞろぞろと、見知った顔の男たちが警官に追い立てられ、車に乗せられていく。
彼らから距離を取り、遠巻きにどうしたものかと眺めていると、近隣の住民たちの会話が聞こえてきた。
「一斉摘発だってさ」
「ここ最近ご無沙汰なのにね、なんかやらかしたんじゃない」
「特にそれらしいことは聞いてないよ」
「気のいい人たちだったし、ご近所さんとしては問題なかったんだけどね」
「世情かねえ」
聞いているうちに不安が募る。潔白とまでは言わないし、叩けば幾らでも埃が出るやつしか集まって居なかったが、こんなふうに一網打尽にされるほど、この国の警察に睨まれる覚えがない。全員が全員、不法滞在というわけでもないのだ。ふと見ると、就労ビザを持っていた従業員たちも車に詰め込まれていた。
世情?そこまで祖国と、この極東の関係は悪くなっていたんだろうか。そうは思えない。
その時ふと、私服の警官たちの間に、ひっそりと佇んでいる男を見つけた。
忘れもしない。かつて私の教官だった男が、そして、私がここにいる理由が、そこに立っていた。
彼が一瞬こちらを見遣った。近くに立っている警官たちに、彼が何かを耳打ちする様子を見終わらないうちに、私は脱兎のごとく逃げ出す。
なんだか最近ずっと走ってばっかりだ。


 狭い路地に入り込んで息を整える。
これからどうすればいいのか、皆目見当もつかなかった。店には戻れない。金は無い。つまらない盗みやスリで食いつなぐことはできても、それで捕まれば同じことだ。逃げ切れない。
前から逃げ切れていなかったのだろう。だから彼はここまで追ってきた。
私のせいだ。私のせいで、あの店まで潰された。この先も同じかもしれない。せめて私一人で済ますべきだろうか。このまま大人しく捕まってやれば、店に居た仲間は、仲間とも思っては居なかったが、お目こぼしがあるかもしれない。あの無駄話が好きな男はどうなったろう。
そのとき、目の前を何かが横切った。ぎょっとして顔を上げ、飛び退きそうになりつつ、よく見ると、それは一匹の猫だった。安堵すると同時に、疲労が押し寄せてきた。ここ数週間、ずっと寝にくい椅子で丸くなっているだけで、まともに休めていなかったことを思い出す。
地べたに座り込んでしまう。帰りたかった。帰れる場所が欲しかった。泣き出しそうになる。
目の前の猫を見つめながら、途方に暮れていると、猫の首元で光るものを見つけた。
「……?」
どうやら、それは何かの鍵であるらしかった。変わってるな、と思う。
唐突に、店から飛び出したときの、最後の会話が脳裏をよぎる。
隠れ家。追跡不能の。完全な隠れ家。その鍵。
思わず笑いそうになる。あの益体のない話を信じているわけじゃなかった。
それでも。もう他にやることは無かった。
ゆっくり立ち上がる。私の挙動に驚いたのか、猫が逃げていく。
そういえば、追われてばかりいて、追いかけるのは初めてだった。