2014年11月27日木曜日

好奇

午後七時。見つけただけでも奇跡だと思う。
帰り道のちらつく街灯に呼応する、欠けた金属のちらつきが無ければわかりはしなかっただろう。
僕は、鍵が刺さっているのを見つけた。
壁に。
目を疑いながら近づくと、このぶっ刺さっている鍵はいわゆる一般家庭で使うもののシルエットのようだが、どうやらなにか、乱雑に彫り込んであるらしい。
もっとしっかりと確かめたい。覗き込むように顔を近づけると、軽い音がして、パイロンが壁にめり込むのを見た。
なるほど、新築だったのか。
焦る頭で、目の前にある固まりきっていないコンクリートの壁を見つつ、馬鹿力で折れながらめり込んでいるパイロンから目を背け、そもそも工事中の区画にテントが取り払われていることや作業員が誰もいない謎を把握すると同時に数本の進入禁止テープを吹き飛ばしながらここまで進んできたことに気づくと、自らの相変わらずの不注意と集中に呆れこそするが、刺さったパイロンが全くずり下がらない事に気づいたのは我ながら絶妙のタイミングだった。
コンクリートは、固まり始めている。突き刺さったパイロンを試しに足でつつくと、それなりの固さが伝わってきた。これならあと少しで表面の部分は固まってしまうだろう。コンクリートが固まる仕組みに特別なものがあるのかは全く知るところではないが、露出しているところが一番早く固まるのに決まっている。
衝動と逡巡と韜晦を繰り返す割に、こういうチャンスには恵まれる。しみじみとそう思う。
僕は、躊躇する事無く鍵を引き抜いた。
ハンカチを使って鍵からドロドロのコンクリートを拭き取る。

そこで、視界が瞬間的に奪われた。
「あぁっ、ミスった……。お前、目ぇ赤くなったかも」
写真に撮られたのか。フラッシュを焚いた男は、適当な調子で聞いてもいないことをこちらに謝って来る。こんなときに思う事ではないだろうが、信じられないくらい馴れ馴れしい男だ。
「あー、でも……、ホラ見ろ、この鍵」
男はこちらに近寄りながら、カメラ背面のディスプレイをこちらに見えるように向けた。なんだ、目は別に赤くない。少しだけほっとした。
「見えるよな? これが、『ウチ』の秘密なんだ」
どうやら、なにか、幾何学的な模様が入っているらしい。しばらく画面を見つづけたところで、間抜けがバレないように手元の鍵に目を移す。
「これがなんの形なのかは、俺にはよくわからない。ライブラリーを漁れば、意味ぐらいは分かるらしいけど、そういうのはロシアンだとかに任せてる」
「この鍵は……、なんなんです?」
思わず口を開いてしまった。この男が仕掛けたものだと考えるのが、全ての状況と合致するところだが、どうしてもそうは感じられなかったからだ。
「そうだな、いってみれば、一つの答え、かな」
はぐらかすでもなく答えたように見えた。実感のようなものが、共感として伝わる。
僕は、無言で頷き、返答とした。
「じゃあ、案内しよう」
男はステップでも踏むように体を背け、歩き出した。
つられて歩こうとすると、手元にかろうじて固まりきっていないコンクリ付きのハンカチがあるのを思い出した。可哀想なので、パイロンにぺたりと張り付け、ここを彼らの墓標とすることに決めた。申し訳ない。
そうしていると、通りの向こうの角から、数人が歩いてくるのが聞こえる。ここの番をしていたはずの人達だろう。いまこの瞬間が完全に隙間の時間だったのだと感心していると、自らが犯した過ちの多さに気づく。
「思い出した! 物干竿がこの前の風の日にどっか飛んでっちまったんだよ。これ持ってけお前」
唐突に立ち止まった男は、足下に転がる僕が吹っ飛ばした魑魅魍魎的残骸を指さした。
「あなたがもってくださいよ。別に僕は要らないです」
素面で答える。それどころではない。
「お前オレはカメラ持ってんの。オーバーロードなんだ」
男は肩をすくめるようにしてジェスチャーをした。なんだこいつ。工事のおっちゃん達も帰ってくるってのに何を言うのか。普通にムカついてきた。信じられない。
「いやこれ、普通に窃盗でしょう。よくないですよ」
「散々器物損壊しただろ」
適当な切り返しだが、後ろに広がっている惨状と、近づき続ける人の気配とを意識して、頭はとっくに混乱しきっていた。
ええい、ままよ。僕はおもむろに黄色と黒の縞縞バーを持ち、カメラマンのケツをぶっ叩いた。悲鳴をあげる男がカメラを落としそうになり抗議の声を上げるが、それを遮るようにさっさと行けとどやしつける。

非難がましくぶつくさ言う男を追い立てて、とりあえず、とりあえずの逃避行が始まった。

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