2014年12月5日金曜日

鍵 02

 意地を張るにも金が要る。
勢いで店を飛び出て、あてどなく、パソコンと椅子の設けられた個室(ネットカフェというらしい)等を転々としていたが、元から心もとなかった残金もいよいよ底を尽きかけた。
寝泊まりする場所の確保にしろ、仕事をもらうにしろ、あの店に顔を出さないことにはどうにもならない。
この国でも、祖国でも、子供が深夜に外をうろついていると、警官が声を掛けてくる。
祖国と違ってこの国では、それが治安の維持のためや、純粋に親切心からのものだ、というのが分かってからも、どうしても警官は好きになれない。そもそも私は不法滞在者なのだ。詳しく身元を調べられても困る。
寄る辺ない者共の寄る辺。結局は、そこに戻るしかなかった。


 気乗りがしないままに足を動かし、辿り着くと、店の前に人だかりができている。困ったことに、店の前に停まっている車と、その周りで厳しい顔をしている連中は私服ではあったが、どうやら警察のようだった。この国でよく声をかけてくる警官とは雰囲気が違う。むしろ、彼らは――祖国の警官と近い。なんとなくそれが分かった。思わず身構える。
店の中からぞろぞろと、見知った顔の男たちが警官に追い立てられ、車に乗せられていく。
彼らから距離を取り、遠巻きにどうしたものかと眺めていると、近隣の住民たちの会話が聞こえてきた。
「一斉摘発だってさ」
「ここ最近ご無沙汰なのにね、なんかやらかしたんじゃない」
「特にそれらしいことは聞いてないよ」
「気のいい人たちだったし、ご近所さんとしては問題なかったんだけどね」
「世情かねえ」
聞いているうちに不安が募る。潔白とまでは言わないし、叩けば幾らでも埃が出るやつしか集まって居なかったが、こんなふうに一網打尽にされるほど、この国の警察に睨まれる覚えがない。全員が全員、不法滞在というわけでもないのだ。ふと見ると、就労ビザを持っていた従業員たちも車に詰め込まれていた。
世情?そこまで祖国と、この極東の関係は悪くなっていたんだろうか。そうは思えない。
その時ふと、私服の警官たちの間に、ひっそりと佇んでいる男を見つけた。
忘れもしない。かつて私の教官だった男が、そして、私がここにいる理由が、そこに立っていた。
彼が一瞬こちらを見遣った。近くに立っている警官たちに、彼が何かを耳打ちする様子を見終わらないうちに、私は脱兎のごとく逃げ出す。
なんだか最近ずっと走ってばっかりだ。


 狭い路地に入り込んで息を整える。
これからどうすればいいのか、皆目見当もつかなかった。店には戻れない。金は無い。つまらない盗みやスリで食いつなぐことはできても、それで捕まれば同じことだ。逃げ切れない。
前から逃げ切れていなかったのだろう。だから彼はここまで追ってきた。
私のせいだ。私のせいで、あの店まで潰された。この先も同じかもしれない。せめて私一人で済ますべきだろうか。このまま大人しく捕まってやれば、店に居た仲間は、仲間とも思っては居なかったが、お目こぼしがあるかもしれない。あの無駄話が好きな男はどうなったろう。
そのとき、目の前を何かが横切った。ぎょっとして顔を上げ、飛び退きそうになりつつ、よく見ると、それは一匹の猫だった。安堵すると同時に、疲労が押し寄せてきた。ここ数週間、ずっと寝にくい椅子で丸くなっているだけで、まともに休めていなかったことを思い出す。
地べたに座り込んでしまう。帰りたかった。帰れる場所が欲しかった。泣き出しそうになる。
目の前の猫を見つめながら、途方に暮れていると、猫の首元で光るものを見つけた。
「……?」
どうやら、それは何かの鍵であるらしかった。変わってるな、と思う。
唐突に、店から飛び出したときの、最後の会話が脳裏をよぎる。
隠れ家。追跡不能の。完全な隠れ家。その鍵。
思わず笑いそうになる。あの益体のない話を信じているわけじゃなかった。
それでも。もう他にやることは無かった。
ゆっくり立ち上がる。私の挙動に驚いたのか、猫が逃げていく。
そういえば、追われてばかりいて、追いかけるのは初めてだった。

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